静岡地方裁判所浜松支部 昭和27年(ワ)256号 判決 1954年10月13日
浜松市中沢町二百五十番地
原告
日本楽器製造株式会社
右代表者代表取締役
川上源一
右訴訟代理人弁護士
白石信明
同
酒卷彌三郞
浜松市助信町四百七十四番地
被告
山葉楽器製造株式会社
右代表者取締役
山葉良雄
右訴訟代理人弁護士
石塚誠一
右当事者間の昭和二十七年(ワ)第二五六号商号等使用禁止請求事件につき次のとおり判決する。
主文
被告は原告に対しその山葉楽器製造株式会社なる商号を使用してはならない。
被告は原告に対し昭和二十六年六月一日静岡地方法務局浜松支局第一一八九号に以てなされた右商号登記の抹消登記手続をせよ。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一請求の趣旨及び原因
一、主文と同趣旨の判決及び予備的請求として、(一)被告はその製造販売するオルガンに山葉楽器製造株式会社Yama-ha GaKKi Seizo Kabushiki Kaishaなる文詞を書入又は印刷して使用してはならない。(二)被告はその発行するカタログ裏面下部にYAMAHAと記載ある部分及びオルガン写真中YAMAHA・GAKKI・SEIZO・KAISHAとある部分を除去し且つ将来右の如きカタログを製作使用してはならないとの判決を求める。
二、原告は明治三十年十月十二日我国最初の楽器製造販売株式会社として資本金十万円を以て創立された株式会社であるが、遂年発展の一途をたどり、今やその払込済資本金は金三億円に達し流動資産金八億一千八百八十万円、固定資産金は十三億六千九百七十一万八千円を有し、全国に支店出張所十三個所の外二百三十二個所の特約店七百八個所の販売店を設け、その主幹事業であるピアノの生産量は全国生産高の八十パーセント、オルガンの生産高は七十五パーセントを占め、我国における最も完備した工場と研究施設を有し、その生産品は優良品中の優良品として内外の推奨を受けつつあることは顕著な事実である。
二、原告が前記の如く、株式会社として創立されるに先立ち、訴外亡山葉寅楠は偶然の機会に浜松において、浜松小学校備付けのアメリカ製小型リード・オルガンの故障修理に成功し、これにヒントを得て、我国で始めて明治二十年個人経営により楽器製造に着手したが、西洋音楽の振興に伴つて増加する需要に応ずるためと、当時大部分の需要を充たしていた輸入オルガンに対抗してこれを駆遂するため、明治二十二年三月合資会社山葉風琴製造所を設立し、その商号に山葉なる文字を使用し、その製品には山葉なる商標を冠し宣伝販売につとめて来たところ、再び組織を改めて前記の如く原告日本楽器製造株式会社を設立し、自らその社長となり、従前の経営組織一切を継承し、創業以来六十八年間連綿として今日に至つた次第であるが、右改組前に使用された商号「山葉」なる呼称は、株式会社として改組後も依然として略称的に使用されて来た。
四、かくして原告の前身である個人及び合資会社の経営にあたつては明治二十年より山葉の商標が用いられたが、原告は大正六年五月十六日ピアノにつきYAMAHA PIANO・ヤマハピアノ、山葉ピアノ、オルガンにつきYAMAHA ORGAN ヤマハオルガン、山葉オルガン・昭和三年十一月十九日ピアノ及びオルガンにつき山葉、ヤマハ、YAMAHA、昭和二十七年一月十二日美装纎維板につき山葉ボート、YAMAHABOARDの各商標を登録し、その製品であるピアノ、オルガン等には必ずその商標を附し、各支店特約店の店頭店内には山葉オルガン山葉の楽器として宣伝し新聞その他の広告文にあつては、すべて原告の商号の表記は略することがあつても、山葉の名を掲げざるはなく、従て山葉といえば原告会社たることが広く認識せらるるに至つたことも顕著な事実である。
かくの如く右商標は商品と離れて、原告の標章として宣伝拡布されて来たので、山葉という標章は同業者間は勿論一般世人間にも周知徹底されるに至つた。従つて音楽辞典等においては原告を指称するに単に山葉と表示し、原告もまた商標として使用する外原告の社報は「ヤマハ商報」と名付け、その五十周年記念刊行物には「山葉の繁り」と題し、原告会社東京支店三階ホールは音楽家、評論家の勧告によつて「山葉ホール」と命名して、山葉の二字を原告会社経営の標章として用うるに至つたことは誠に自然の成行である。
かくて長期に亘る広告宣伝の結果一般の楽器需要者に対しては山葉という発音と文字は、元来は山葉という個人の氏であつたものが次第に原告の別名と化し、今日では原告と不可分的に結びつけられ全く商号化され標章化せられ、山葉の楽器という時は原告の製品なりとし、山葉という時は原告なりと直感されるに至り、個人でいえば、ペンネーム又は愛称名として慣用されること久しきに及んだことは、彼のといえば三越、マツダランプといえば東京芝浦電気、山サ醤油は浜口吉兵衞商店の各株式会社を指称すると同様に慣熟されるに至つたのである。
五、被告会社は、昭和二十六年六月一日設立され、オルガンの製造販売を開始し、近くピアノの製造販売をなす企画を有して居るが
(一) その創立にあたり、原告の商標であり、且つ標章である山葉と、同発音同文字であるところの山葉という名称をその商号の主要部分に附することにより、原告の前記名声を利用しようと企て、山葉楽器製造株式会社なる商号を定めて登記し営業を開始した。そのため世人をして原告の商標並びに標章と、被告の商号との間に混同誤認を生じ、楽器の売買取引に混乱を惹起した事例が相ついで発生するに至つた。
蓋し、この原因は山葉楽器会社と呼称するとき原告の企業体と混同され、山葉楽器製品というときは原告製品と誤認混同されるからである。
(二) 次いで被告は
(1) その製造したオルガンへ原告の商品、原告の営業たることを表示する山葉という文字を包含する商号たる山葉楽器製造株式会社という文字を書入れたので甚だしく原告の製品と誤認混同を生じ
(2) 原告において当庁昭和二十七年(ヨ)第一二〇号仮処分命令執行後は脱法方法として被告の商標タイガーの外ネームプレートにMADE・BY・YAMAHAGAKKIという表示をしたため原告の製品との混同を生じ
(3) 被告の或販売店は、被告製品オルガンの販売広告にあたり、被告の商号が山葉の二字を冠するを奇貨とし「山葉オルガン」と表示したため原告製品との混同を生じ
(4) 又或る販売店はその店頭に他の楽器は商標を掲げておるのに被告の製品に関してはこれをなさず単に山葉楽器オルガンと掲記したため数十年間山葉の楽器として宣伝された原告の製品と誤認混同を生じ(被告は右(3)(4)の事例を承知の上差止めをしなかつた)。
(5) カタログに原告のカタログと相似の図案を選び、その下部にYAMAHAGAKKIと記載したため原告のカタログと誤認混同を生じ、従つて製品の誤認となり
(6) その商品宣伝にあたつては、宣伝文、カタログ等に前記山葉寅楠の肖像並びに表彰状を掲げてその下部に自己がその技術を受け継いだものと虚偽の宣伝をしたため原告と誤認混同を生じた。即ち被告の商号中山葉なる主要部を多様に操作することによつて原告の製造したオルガンとまぎらわしい形態を策して営業をなし且つ以上の如き方法により販路拡張に狂奔しているのである。
(三) 冐頭に述べた如く、原告の製品は国内は勿論国外においても著名であり、その優良なることは既に業界に定評がある。これに反し被告の製品は極めて粗悪であるため、原告製品と誤認混同されることにより原告は信用上並びに営業上多大の損害を蒙る次第である。
六、被告の前記各行為の結果原告がその営業上の信用並びに利益を害された実態は次のとおりである。
(一) 取引業者及び一般需要者の一部に被告の商品を原告の商品と誤認する者が生ずるに至り、被告製造の粗悪品が原告の製品として流布されたため、被告は原告の姉妹会社又は第二会社として新設されたものであろうとの錯覚を生ぜしめた事実もあり、その結果原告はその信用を毀損され、且つその虞がいよいよ多きを加えつつある。
(二) 被告の製品が原告の製品と誤認されて取引されるに至つた事例は、山形市鈴川小学校、尾花沢小学校、愛知県三上保育園、北中学校、大阪狭山小学校、長野県延徳中学校、日野小学校坂城小学校、富士里小学校等で、これ等はその一例に過ぎない。
(三) かくの如くして被告は、その商号が原告並びに原告の標章山葉と誤認されることを良き幸として、山葉なる呼称を種々の形態に変化して商品に附することにより、商号選定時の野望を達成せしめ、その反対に原告は、その商標及び標章と誤認混同されることによりますます損害を蒙るのであつて、その原因をなすところのものは、実に被告が不法にも山葉なる文字を商号に選定使用したのに帰するのである。
七、以上の如く被告の商号使用自体が、原告の標章山葉及び商標と混同を生じたため、原告自体を誤認されるに至つたが、更に被告会社の設立者等が如何なる目的と思惑とによつて被告の商号を選定したかはいう迄もなく、被告代表者等は前記の如き誤認混同を生ぜしめることによつて自社の販路を拡大せんとする不正競争の目的を有したものである。即ち
(一) 被告会社代表者山葉良雄は、原告会社初代社長山葉寅楠の長男であり、大正五年十月十八日原告会社に入社して社員となり、昭和三年六月監査役に就任し、昭和二十年九月辞任するに至るまで原告会社に勤務していたため、その先代が「山葉」の姓を原告の商標乃至標章として使用することを進んで承諾し、その反面自ら同一営業に使用しないことを約した事実を知悉し、且つその家督相続人として同上の義務を承継したのにかかわらず、敢て前記の如き行為に出たが、原告が山葉という称呼を商標として商品に附する以外に商品とはなれて企業体の標章として用い、これが長期に亘る広告宣伝等の結果原告と結びつけられ、山葉というときは、原告を指すものとして、音楽家、音楽評論家並びに楽器取引者需要者間に広く認識され、且つ山葉さんと愛称されつつある事実及び被告の商号を商品に附するときは、原告の製品と混同されること必然なのを知悉していたことはも早や証明するまでもない程明かである。
(ニ) 而も前記の如く
(1) 被告の製品は山葉寅楠の意思を受け継ぎ製作した由緒あるオルガンなりと宣伝し、山葉寅楠の指導の下にできたオルガンは、被告のオルガンなりとの意味の虚偽の宣伝をなし、
(2) 原告のものと相似したカタログを使用し
(3) 原告会社初代社長山葉寅楠を、あたかも被告会社の初代社長と錯覚せしむるが如き肖像入りの宣伝文を用い
(4) その製品には、オルガンとしては異例な程、悉くの商品に商号の記入をなし、あたかも原告又はその姉妹会社の製品たるが如き意匠体裁を呈せしめ
(5) 仮処分後は被告の商号を商品に記入することは中止したと言明しながら、ネームプレートを別に作製してこれをオルガンに打ちつけて、山葉の二字を需要者の感覚に訴え、原告の商品と速断させようと企図し
(6) 販売店が被告の商号に山葉の二字あるを奇貨して、原告の製品と誤認させる如き宣伝方法を採ること知悉しながら黙認した事実並びにこれを綜合した結果によれば、被告が不正競争の意思を以て商号を選定したことは実に明かである。
八、本訴請求における法律上の理由は、次のとおりである。
(一) 不正競争防止法は、昭和九年法律第十四号として公布され、次で昭和十三年法律第二号を以て「他人の氏名商号標章其他他人の営業たることを示すと同一又は類似のものを使用して他人の営業上の施設又は活動と混同を生せしむる行為」の条項を追加し、更に昭和二十五年法律第九十号を以て同法第一条第二号本文から「取引上」なる文言を削除し「本法施行の地域内に於て広く認識せらるる他人の氏名、商号、標章其他他人の営業たることを示す表示と同一又は類似ものもを使用して他人の営業上の施設又は活動と混同を生せしむる行為」とし、更に「……営業上の利益を害せらるる虞れある者は其の行為を止むべきことを請求することを得」と規定し、経済戦の激烈なる状勢に順応し、広く経済活動の分野における権利乱用を阻止せんとしたものである。
かかる法規の形態を解説して、「不正競業法規の最通常な形態は、商品の原産地を誤認せしむることであるが、之は地方製造者、販売者共に信用声価の表徴たる商品名又は標章を強調して競業者を圧倒すべく努力すると対応するものである」とし(村上秀三郎博土法学新報五〇巻二号二五八頁)或は「自由競争の旺盛に赴く処必ず又其弊害之に随伴するを免れず営業者が名を競争の自由に藉りて其手段を択ばず自ら利せんが為めに同種営業者の営業を不正に防害することを意味するものは即ち所謂不正競業にして仏国法学は右弊害を妨止する必要に促され営業者の権利を侵害する不法行為なりと断するに至りたるものにして」と論ずる(有馬忠三郎博土不正競業論二頁)。右は不正競争防止法の立法理由を明かにしたものと推察されるのである。
従来は、競争的企業活動が不正競争行為として成立するためには不正競争の目的を以てなされるという主観的要件が要求されていたが、現行法はこの要件を排除した。それは本法の対象たる諸行為そのものに不正競争の手段たる反倫理的性格が内含されているので、行為者の主観的意図を問題とするまでもなく、行為の客観的類型に即して防止の対象とする必要があるためである(実方正雄商法総論第二七〇頁)、同法第一条は、不正競争防止法の保障を受けることのできる者に関し規定し、同条第一号乃至第六号の何れか一つに該当する行為をなす者がある場合、これによつて直接営業上の利益を害せられる虞ある者は、その行為を差止むべきことを裁判所に請求できる。而してその行為をなすについては故意又は過失等の主観的要件は必要でなく客観的にその行為の結果が、本条所定の行為に該当する虞あるときは、本条の請求をなすことができる。本条は「害せらるる虞」というから必ずしも現実に営業上の利益を侵害されたことを必要とせず、その虞があれば足りる。(大審院昭和十八年(オ)第九四号判例総攪第四巻第五九八頁)。
不正行為の第一は二つある。(1)は、本邦内において広く認識せられる他人の氏名、商号、商品の容器包装その他他人の商品であることを示す表示と同一又は類似のものを使用して、他人の商品と混同せしめる行為で、(2)はこれを使用した商品を販売、拡布若しくは輸出して他人の商品と混同を生ぜしめる行為である。右に所謂広く認識せられるとは、本邦内に隈なく認識せらるることは必要とせず、商品との関係において、例えば広告、引札、便箋等の類に使用する場合も包含する(大審院昭和十六年(オ)第一一八〇号判例総攪第三巻第六七一頁)。又混同を生ずる行為とは、必ずしも実際に混同を生じた事実を必要とせず、その虞があれば足りるし且つ行為者に取引上実際に混同を生ずることについての認識あることを必要としないのは前述のとおりである。不正行為の第二は、本邦内において、広く認識せらられる他人の氏名、商号標章、その他他人の営業である事を示す表示と同一又は類似のものを使用して、他人の営業上の施設又は活動と混同を生ぜしむる行為である。右に所謂広く認識せられるとは前述の如く本邦内において相当範囲に認識されていれば足り、隈なく認識されることを必要としない。又他人の営業なることを示す表示として氏名、商号、標章を挙げているが、これは例示であつて、その他特定人の営業であることを示すものであればよい。標章は商標を含みこれより広い、即ち、営業標、商標へ附記変更を加えたもの、のれん、通称、呼名等一切を含む。この表示を使用するとは、営業活動に関係あるものに使用するをいい、他人の営業上の施設又は活動と混同を生ぜしむる行為とは店舗、事務所、工場、その他営業上の設備又は営業活動が他人のものと混同を生じ、商品の出所が誤認される場合を指す、而して混同を生ぜしむることによつて直接他人の営業上の利益を奪取する場合に限らず、いやしくも混同を生ずる行為はすべて包含される。右は如何なる行為を指称するのであるか、最近判例の説明するところを参照して見る東京地方裁判所昭和二十六年(ワ)第二一号、同二十七年九日三十日判決(下級裁判所民事判例集第三巻第九号)は不正競争防止法第一条第一号第二号に該当する行為により営業上の信用及び利益を害されたかどうかの判定につき、極めて詳細な理論を展開し、明快な判断を示している。この事件における原告主張の要旨は、原告会社の前身である組合は、大正年間から丸三ジャム製造所という商号を用い、またその製品の容器や包装には<三>の記号を附して優良なジャムを多量に製造し、これを国内に販売拡布してきたので、丸三ジャム製造所または<三>ジャム製造所の表示は、同業者間にも一般需要者間にも周知されるに至り、ついで原告会社に改組されて後は、丸三ジャム製造株式会社という商号が、業者間にも一般需要者間にも周知されるに至つたのみならず、従前使用された丸三ジャム製造所または<三>ジャム製造所の表示も原告を指すものとして用いられ、また「丸三ジャム」「丸三のジャム」という商品の表示は、原告の製造した商品を指すものとして著名となつた。従つて右商号商標並びに商品の表示は、不正競争防止法施行地域内において広く認識されるに至り、また<三>ジャムという表示は周知の商標として認められるに至つた、原告は昭和二十五年十一月九日「<三>ジャム製造所」、「丸三ジャム製造株式会社」の表示を商標として登録したというにあり。被告の行為は、被告は昭和二十五年一月三十日ジャム製造所を開設したが、その名称に原告の商号であつた丸三ジャム製造所と同音であり且つ原告の営業を表示する<三>ジャム製造所と同一の名称を付してジャム製造販売を開始し、ついで、右製造所は同年八月十八日被告株式会社に改組されたが、被告会社は原告の商号、原告の商品、原告の営業たることを示す表示の「丸三ジャム」という表示を包含する「株式会社小出丸三ジャム製造所」という商号を選定使用していることにあつた。右に関し裁判所の判断は被告の行為は不正競争防止法に該当するものとして、被告に対し商号の抹消登記手続を宣言したのである。
本件において原告の製品たる山葉オルガン、山葉ピアノまたは山葉の楽器は実に七十年になんなんとする栄誉ある歴史を有し、よつて来る声望は先に述べたとおりであるが右製品の呼称は、何れも商標登録せられあり、且つ原告の凡百の広告宣伝はあげて「ヤマハ」「山葉」の記号を最も目につきやすく、最も耳に入りやすく用意したために、不正競争防止法施行地域内においては広く認職されたのは勿論、原告会社創立前後から山葉を商標とするばかりでなく営業の標章または屋号別名として使用し、引続き原告の出版する商報または記念出版物にヤマハ商報または山葉の繁りと名付け、他方原告の特約店はその懇親会を山葉会と呼び、一般業者は原告を呼称するに「山葉さん」「山葉楽器さん」とすることは、前記四の各訴外会社に関する実例と同様に愛用されて居り、原告自体においても「山葉」または「山葉楽器」を原告の表示とするに至つて居る。かくの如く商品名商標、記号、標章が企業体または企業活動を表示するに至つたときは、この信用と声価とを巧みに利用するため、同種製品の製造者がその商号の主要部分に以上の商品名等に同一または類似する文字または記号若しくは同一発音の標章を用いることは明かに不正競争防止法第一条第二号に該当するものであると信ずる。
(二) 商法第二十一条が商号選定に関する自由主義に対する一例外であることはいうまでもない。本条は一般第三者が営業上の信用について誤認した結果不測の損害を蒙ることを防止しようとするにあり、ここにいう不正の目的は商法第二十条の不正競争の目的よりは広く不正競争の目的でなされる場合を含むが、相手方が同一営業を営んでいない場合でも、更に相手方が商人でない場合でも不正の目的はあり得る。即ち相手方の信用を利用し、一般第三者をしてその信頼性の判断を誤らしめる目的をいう。而して、これが差止権を有する者は、既に利益を害せられた者はいうまでもなく、害せられる虞ある者も含む、利益を害せられるとは収益の減少、信用失墜等財産或は人格について生ずる不利益を指す。従つて被告の本件行為は本条にも該当するものといえる。
九、よつて原告は被告に対し
(一) 被告会社がその商号中「山葉」という表示を選定使用していることは、不正競争防止法第一条第二号にいわゆる「本法施行地域内に於て広く認識される他人の氏名、商号、標章その他他人の営業たる事を示す表示と同一又は類似のものを使用して他人の営業上の施設又は活動と混同を生ぜしむる行為」及び商法第二十一条の「何人と雖ども不正の目的を以て他人の営業なりと誤認せしむべき商号を使用することを得ず」という規定に該当するから、被告の商号の使用禁止を
(二) 更に被告の商号登記の抹消登記手続を請求し、予備的請求として
(三) 被告が製造販売するオルガンに山葉楽器製造株式会社 Yamaha Gakki Seizo Kabushiki Kaishaなる文詞を書入れ印刷することは、不正競争防止法第一条第一号「本法施行の地域内に於て広く認識せらるる他人の商号商標商品の容器包装其他他人の商品たることを示す表示と同一若しくは類似のものを使用し他人の商品と混同を生ぜしむる行為」に該当し、且つ商標法第七条第八条の商標専用権に反するから、その行為の禁止を
(四) 被告の発行するカタログ裏面下部にYAMAHAと記載し且つオルガン写真中YAMAMA GAKKI SEIZO KAISHAと記載することは、前号掲記の法律に該当するからその除去並びに将来右の如きカタログを製作使用することの禁止を
請求する。
第二被告の答弁に対する主張
一、合資会社山葉風琴製造所が明治二十四年解散した事実は争わない。しかしそれは、楽器製造業務を発展拡大するためには、合資会社の組織を以ては不適当なので、これを解散して原告会社を設立したものである。従つて形式的又は法律的には別個の会社が設立されたのであるが、事実上は前者も後者も共に代表者は山葉寅楠であつて、その業務も等しく楽器製造販売である。而も工場、工員、資材、商標等はあげて原告が引継いだのであり所謂前者を発展的に解消し、後者を同一内容を以て設立したものである。
二、被告会社代表取締役が山葉なる氏を有すること及び前記山葉寅楠の長男であることは争わないが、被告会社と代表者山葉良雄とは人格を異にする別個の存在であるから、同人の氏を被告の商号に冠することが自然であるとの被告の主張は理由がない。又その氏は同時に右山葉寅楠が原告のオルガンその他の楽器の商標として登録し、一つの商標権と化し、更に長期に亘る広告宣伝の結果一般需要者、取引者間において、山葉という文字発音は原告会社と結びつき、原告会社自体を指すものとして用いられるに至り、且つ山葉のオルガン、山葉の楽器という表示は原告の製造した商品を指すものとして著名になつた今日、単にこれを一個の氏とのみいい去ることはできないのであつて、被告の商号は原告の商標並びに標章を商号の主要部分に包含するものというべきである。而も商標法上も自己の氏名を原告の商標として使用することを許諾した以上、同一営業にはこれを使用しない不作為義務を負つたものというべく、なお、これが登録をなし、又これを標章として使用した時期が、右山葉寅楠のみならず、被告会社代表者山葉良雄が原告会社の社員又は重役であつた期間中から今日に至つて居る事実よりすれば、被告会社代表者も又自己の氏名を原告の商標として使用することを許諾していたというべく、従つて同一営業に使用しない不作為義務を負担するものといわねばならない。故にもし氏名権の範囲という被告の主張にして理由ありとすれば、それは権利の乱用であると共に氏名の使用を原告に許諾しながら、原告の商品が有名となるや自己の氏名であるから使用自由なりとしてこれを第三者である被告会社の商号中に使用させることは信義誠実の原則に反する。而して商標とか商号とかの法律的区別概念は一般人は勿論、音楽家その他楽器に親しむ人々においてすらもないのであるから、一般人は、山葉の文字発音自体により原告会社を想起し、その営業と同一なりと誤認混同するのは当然である。
三、不正競争防止法においては、混同誤認の客観的事実があれば足り、不正競争の意思を要しないが、被告会社は不正競争の意思を有するものと断ぜざるを得ない。即ち原告が我国楽器業界における第一人者として、山葉なる略称を以て呼ばれていることは顕著な事実であつて、被告はこれを知りつつ原告会社の名声を利用し、販路を拡張し、不当な利益を獲得せんがために、タイガーなる商標を有するにかかわらず最も紛らわしい商号をことさらに使用し、これを商品に書入れ商標的に使用し、本件に関する仮処分後は形を変えてその商号を商標的に使用し、これがために各所において原告会社製品と誤り購入されている事実、又原告のカタログに類似するカタログを使用する点よりすれば不正競争の目的に出たことは明かである。
四、訴の利益なしとの点について、本件に関する当庁昭和二十七年(ヨ)第一二〇号仮処分後、現に甲第二十号証の如く脱法手段としてネームプレートを用いてその商号を商標的に使用しているし、又使用する虞があるから、その抗弁は理由がない。
第三被告の答弁及び抗弁
一、原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求める。
二、原告の主張事実中、原告会社の初代社長訴外亡山葉寅楠が我国で始めてオルガン製造に着手して成功したこと、同人が明治二十二年三月合資会社山葉風琴製造所を設立したこと、原告会社が明治三十年十月十二日設立され、爾来楽器その他の製造販売業を営むものであること、右山葉寅楠が個人企業としてオルガンの製造をしていた当時並びに原告会社の社長当時その製造に係るオルガン又はピアノに自己の氏である山葉なる文字を商標的に使用していたこと、原告がその主張のような商標の登録を受けて居ること、原告がその製造に係るピアノにつき「YAMAHA」なる商標を、オルガンにつき「YAMAHA」、「YAMAHAORGAN」、「ヤマハオルガン」なる商標を使用して居ること、被告会社が昭和二十六年六月一日設立され、オルガンの製造販売を開始し、近くピアノの製造を開始する企画を有して居ること、被告会社が「TAIGAR」なる登録商標を有して居ること、被告会社の商号が登記されて居ることは何れもこれを認める。
原告会社が合資会社山葉風琴製造所を継承したとの点、山葉なる商標が原告の商号以上に海外にまで知られ信用されていること、右被告が認めた以外の商標が使用されて居ること、右山葉良雄が原告主張のような点を知つて居ること、被告の行為が原告主張のような不正の意図に出て、誤認混同を生じたことに関する原告主張事実は、これを争う。
三、合資会社山葉風琴製造所は明治二十四年解散し、原告会社は明治三十年十月設立せられた。従つて、原告が右合資会社の事業一切を承継したものではない。
被告会社が設立された理由は、被告会社の社長山葉良雄は右山葉寅楠の長男でその相続人である関係上、同人の意思を受継ぎ、個人企業を以て自己の氏を冠した「山葉楽器製造所」又は「山葉楽器店」と称し、楽器の製造販売を経営して来たところ、規模も大きくし、資本を拡充する必要上、株式組織に改めたものであつて、従つてその商号も「山葉楽器製造株式会社」と登記したのであり、かような商号をつけるのに不正な意図は絶対になく、全く自然の経過に基くものである。
四、被告商号の使用禁止請求について
(一) 山葉寅楠並びにその相続人山葉良雄がその氏山葉を使用することができないとの不作為義務を負担したという根拠は何等存しないのみならず、原告会社がその製造に係る楽器に山葉の名を冠する所以は、山葉寅楠の我国洋楽器界における功労者たる名を永遠に伝えんとする趣旨であつて、原告会社内山葉寅楠翁銅像建設事務所昭和四年九月二十八日発行「山葉寅楠翁」と題する記念出版物の第一頁に
山葉寅楠翁
翁は日本に於ける最初のオルガン製造者であり、楽器界における功労者として特に緑綬褒章を賜つた事は皆人の知る所である。又実に日本楽器製造株式会社の創設者として明治三十年九月の創立当時より大正五年八月病を得て遂に沒するに至る迄終身社長の職にありて能く我国の洋楽器自給の為め献身的努力をなして居つた。
今日当社が其製造にかかる楽器に山葉の名を冠して翁の名を伝うるも所以あることであつて翁は死するも其名は永遠に生けるものと云うべきである云々
と記載されてあることによつても明かなように、原告の使用する山葉なる商標は、むしろ山葉寅楠の名誉を永遠に讃えんとするものである。今や山葉良雄は山葉寅楠の直系相続人として父の偉業とその名誉とを受け継ぎ自己の名を冠した「山葉楽器製造株式会社」を主宰しているのであつて、仮りに被告会社の製品に山葉なる商標を附したとしても、原告としては道義的にはこれを許容して然るべきである。然るに原告が山葉なる商標使用の沿革を無視して山葉楽器製造株式会社なる商号の使用さえもこれを禁止せんとするが如きは誠に遺憾の極みである。
これを要するに、山葉良雄が山葉寅楠の直系相続人としてその意思を受け継ぎ、自己の姓を冠した被告会社を主宰している事実と、原告が山葉なる商標を使用する沿革との趣旨に鑑み本訴請求はその根本において既に失当である。
(二) 商法第二十一条は不正の目的を要件とすること勿論である。然るに被告がその主宰者山葉良雄の姓を冠した商号を使用するのは、前述のとおり父山葉寅楠の意思と血統を受け継ぎ、個人経営を以て「山葉楽器製作所」又は「山葉楽器店」を経営したのに始り、規模を大きくし、資本を拡充する必要上株式会社組織に改めたがためであつて、山葉良雄の山葉寅楠に対する関係は、原告の山葉寅楠に対する関係に比し勝るとも劣らざるものがあるのである。されば山葉寅楠にも又オルガンの製造にも何等関係なき者が勿然と山葉楽器製造株式会社なる商号を使用しオルガンを製造するのとは同日の論でないことは勿論、被告会社に何等不正の意図のないことも自から明かである。
(三) 原告は、被告がその商号を商標的に使用している旨非難するけれども、原告主張の表示が果して商標的使用と見えるかどうか、又その商品が混同のおそれあるかどうか夫々現物を対象すれば、自ら判定されるわけであるが、仮りに肯定されたとしても、被告は既にかかる商標的使用と誤解される虞のある行為は争を避ける意味において全部廃止した。被告が使用している原告主張のネームプレートに対する非難は失当である。
即ち商品にその製造者名を明示することは一般的に行われているところであつて敢て異とするに足りない。日本工業規格中多笛楽器の教育用リードオルガンの部の第十六条はオルガンには次の事項を表示しなければならない。表示に関する規定は別に定める。1教育用リードオルガン、2種別、3製造者名または略号(商号)、4製造番号、5製造年と定められている。ピアノ、オルガンにつき製造者名を表示する実例としては
1 HORUGELなる商標を有する小野ピアノ製造株式会社製のピアノにはONO PIANO COMPANY TO-KYO OSAKAなる美しきネームプレートが附されている。
2 AOI ORGANなる商標を有する株式会社葵楽器製作所製のオルガンには蓋の中央にAOI ORGAN MA-DE BY A.G.S.SIMADAと表示してある。
3 KAWAI ORGANなる商標を有する株式会社河合楽器製作所のオルガンには蓋の中央にKAWAI ORGAN MADE BY K.G.S.HAMA MATSU JAPANと表示してある。
等がある。被告がネームプレートを使用することを以てそれが不正競争を企図するものであるとの主張は牽強附会というべきである。
なお、このネームプレートを使用したために原被告の各製品が混同された事実はない。
被告がカタログ又はリーフレットに山葉寅楠の肖像及び表彰状等を掲げ、同人の閲歴及び山葉良雄との関係を記載したのは、山葉良雄が父山葉寅楠から受け継いだ名誉即ち人格権の行使であり、且つ優秀なるタイガーオルガン製造の決意を披歴するものであつて、何等事実に反する悪宣伝ではない。
被告の製品を販売する者が「ヤマハオルガン」又は「山葉楽器オルガン」と表示したのを非難するのは、被告にとつて誠に迷惑ないいがかりである。右の者等は何れも不正の意図によるものでない旨説明しているが、その意図が那辺にあるにせよ、それは被告において何等関知しないところである。本訴において原告から指摘されて初めてその事実を知り、無用な争を避けたいとの見地から右の者等に対してはその抹消方を求めておいた。右の者等が被告不知の間になした所為につき、法律上被告が責任を負う謂れはなく又その差止めをする権利もない。
被告の製品が極めて粗悪であるとの原告主張は不当な誹謗である。被告の援用する証言は何れも原告の特約店主の証言であるばかりでなく、伝聞である。この程度の証言によつて一概に極めて粗悪であると断ずることは不当である。原告が挙げた取引上誤認混同されたという事例中その旨の直接の証拠は三上保育園の場合の一例に過ぎない。他の購入当事者は者れも誤認混同の事実がなかつたことを証言しているし、尾花沢町立第一小学校長の如きは、タイガーオルガンなることを確認して買つたが、当時その製造者が誰れであるかは意に介しなかつたと証言している。
ところで被告会社が昭和廿七年三月から、昭和廿八年六月までに製造したオルガンは千六十一台であるが、その中で前述の如く実際取引において誤認混同された事例として立証されたのが一台に過ぎないとすれば、如何に観念的に誤認混同の虞れがあるといつて見ても、事実の立証が伴わない観念論に過ぎないことが明らかである。
而も静岡県におけるオルガン生産高中原告の六八パーセントに対し、被告は僅かに二パーセントに過ぎない。かかる殆んど比較にならない弱少な生産能力しかない被告の製品中千六十一分の一の誤認混同があつたとしても、かかる軽微な事故は、そのために原告の営業上の利益を害するとは社会通念上考えられないし、仮りに原告主張のように九個の誤認混同の事例があつたとしても此の理に消長を来すものでない。もし、たとえ一台でも二台でも又は九台でも取引上誤認混同のため売りそこなつたから、それは、営業上の利益を害する虞れあるものとの根拠になるとの論に対しては、さような損害は、原告が山葉という他人の氏を商標として選択したことから生ずるところの社会生活上原告が忍受しなければならない已むを得ないでき事であるといわねばならない。
けだし、被告が山葉楽器製造株式会社なる商号を使用することは、既に述べたとおり、山葉寅楠と被告会社社長山葉良雄との特殊関係に由来するところの氏名権の行使に外ならない。原告はそれは権利の乱用であると主張するけれども、前述のとおり原告が蒙る誠に軽微な損害と、被告がその商号を抹殺されることにより蒙る致命的損害とを比較するならば、何れが権利の乱用となるか思い半ばに過ぎるものがあるであろう。いわんや、楽器製作に関して何等の縁故なきものが、たまたま山葉なる氏を有するの故を以て山葉楽器製造株式会社なる商号を選定したのと同日に論ずることはできない。
(四) 被告がその商号を商号として使用することにより、どのような商品混同行為があり、どのような営業混同行為があるか、原告の主張には、具体的な説明がない。例えば、被告が門に山葉楽器製造株式会社という表札を掲げ、又は被告が商用で使用する封簡に差出人として右商号を印刷し、出荷案内書や請求書に当事者として右商号を印刷する如きことが、どうして商品混同又は営業上の施設又は活動の混同行為となるのであろうか。原告は「山葉」「ヤマハ」「YAMAHA」等の商標が営業の主体たる原告を表示するというけれども、元来商標の性質は商品の品質を表象し、それによつて商品選別の標識とすると共に、当該商品が当該商標を使用する営業者から出たものであるとの認識を得しめるものであつて決して営業主体を表示するものではない。営業の主体を表示するものは商号であつて、商標ではない。原告会社は創立以来五十五年の歴史と、東洋唯一の楽器製造大工場を誇る「日本楽器製造株式会社」なる商号により表示せられるものであつて、山葉楽器製造株式会社と混同される虞のあるものではない。「山葉オルガン」なる商標は「日本楽器製造株式会社」製のオルガンなる商品を表象するものであつて、原告会社の表示ではない。
営業の主体を表示する商号は唯一であるべきであるが、商品選別の標識たる商標は何種でも持つことができるのである。商号をそのまま商標とする場合はもとよりあるが、本件の場合は、日本楽器製造株式会社という商号を有する営業主体が、山葉なる商標を有するのであつて、営業の主体を表示する商号と、商品選別の標識との性質上の区別を混同してはならない。商標を以て商号と同様に営業の主体を表示するものであるとの誤つた前提に立つて被告の商号使用の禁止を求めるのは行き過ぎである。
今原告が被告に対し山葉楽器製造株式会社なる商号さえもその使用を禁止することは、即ち山葉良雄に対し、山葉寅楠の後裔たる名誉を剥奪するものであつて、まことに堪え難いことである。原告会社の前社長川上嘉市氏は前記「山葉寅楠翁」と題する記念出版書の第十九頁以下において
オルガンとかピアノとか言うものは手本があつたからとて之を模倣することは中々困難なものである。殊に翁が明治二十年と云う古い時代にオルガンの修理を引受けて之を完成したことは既に驚嘆に値するが其組立直しの経験を基礎として遂に新品の製作に迄成功したと云う事は翁の如き天才的努力家にして始めて望み得べき事で我楽器界に翁が出たればこそ今日我国洋楽器の自立を見ることが出来たのであつて邦家の為め誠に祝福すべきことと念う。……中略………翁が基礎を築き翁が培いたる我日本楽器製造株式会社は今日資本金四百万円を擁し生産高も年額八百万円に上り国内需要の八割を供給する盛況に進み真に東洋無二の楽器工場となつた事は我郷土の誇である。地下の翁も之を見られたならば定めし満足に感ぜらるる事であろう云々
と述べ、山葉寅楠の原告会社に対する功績につき称讃の辞を惜しまないのである。然るに拘らず今や山葉寅楠にしてみれば、自分が心魂を尽して基礎を築き培いたる原告会社から、自分の子や孫が、自分の後裔たるの名誉を担いその意思を受け継ぎ自己の姓を商号に冠して楽器の製造をなすにあたり、その商号の使用までも禁止を請求されているのである。斯る圧迫に対し地下に眠る同人の感慨や如何なるものがあろうか。
三、予備的請求について
(一) 原告主張に係る被告のオルガンになした表示は、被告製造に係るタイガーオルガンのキイの上部にTIGER ORGAN MADE BY YAMAHA GAKKI SEIZO KAISHYなる文詞を表示したのを指すものと思われるが、それは被告製造のタイガーオルガンなる事実を表示したのであつて原告のYAMAHAなる登録商標に類似させる意図はなかつたのであるが、前述のとおり誤解を避けて、現在かかる表示をなさず且つ将来もなす意思はない。故に被告の商号を商標的に使用してはならないという本訴請求は訴の利益がないから失当である。
(二) 被告が従来発行していたカタログの製作使用の禁止請求については、右に述べたように、被告製造のオルガンに右のような文詞を使用していないから、従つてこれを写真としたカタログもその用をなさないのみならず、既に残部も皆無となつたので、これを使用し又は将来製作することはない。よつてこの請求も又訴の利益がないので失当である。
第四立証(省略)
理由
第一原告が明治三十年十月「日本楽器製造株式会社」なる商号を以て設立せられ、資本の額は当初金十万であつたのが逐年発展の結果現在資本金三億円となり、オルガン、ピアノ等の楽器製造販売を事業としていること、本店を静岡県浜松市に置き、我国内において、東京都、大阪市内等十三カ所に支店出張所を設け、二百三十二カ所の特約店、七百八カ所の販売店を有して居ること、その製造高が我国全製造高中に占める割合はピアノにつき八十パーセント、オルガンにつき七十五パーセントであること、訴外亡山葉寅楠が明治二十年我国において始めてオルガンの製造に成功し、個人経営を以てこれが製造販売業を始め、明治二十二年三月合資会社山葉風琴製造所を創立して右個人事業を承継させたが同二十四年右会社が解散されたこと、同人が前記原告会社設立と共にその初代社長に就任したこと、右明治二十年以来大正六年に至るまで、右各経営にあたつて「山葉」なる商標が用いられたこと、原告は大正六年五月十六日山葉オルガン、山葉ピアノ、その他YAMAHAPIANO又はORGAN、ヤマハピアノ又はオルガンの商標を登録し、昭和三年十一月十九日右各商標以外に山葉、ヤマハ、YAMAHAなる四種の商標を登録したこと、被告が昭和二十六年六月一日「山葉楽器製造株式会社」なる商号を以て設立され、オルガンの製造販売を事業とし、ピアノ製造販売の企劃を有すること、現に右商号は登記されていることは何れも当事者間に争がない。
第二よつて、被告の右商号使用が不正競争防止法第一条第二号に該当するか否かについて判断する。
一、「山葉」なる表示が原告の標章であり且つ不正競争防止法施行地域内において広く認識されているか否かについて当事者間に争のない前記の各事実、原告が、その製造販売する楽器の品質及び数量において、我国楽器製造販売業界中有数な業者であり、その製造するオルガン、ピアノは、前記商標を有する著名品であること当裁判所に顕著な事実、その成立又は写真であることに争のない甲第二、第四、第六号証の一乃至四、六、第十二第十六、第二十一乃至第二十六号証、証人小倉太郎の証言によりその成立及び真正な写真であることが認められる甲第六号証の五、七、八、第七、第八、第十三号証及び証人小倉太郎、大村兼次、神谷英雄、石井善吾、鈴木角太郎、袴田花枝鳥羽博武、大崎勝雄、堀内敬三、宮内義雄、属啓成、石橋益恵、の各証言及び当審の昭和二十八年六月一日及び同年九月十七日各検証の結果を綜合すれば、被告会社の設立以前において既に「山葉」「ヤマハ」又はこれと同音のローマ字は、永年にわたつて原告の商標自体、又はその要部として使用され来つたこと、殊に原告の製品である、ピアノ、オルガン等にもすべてYAMAHAなる商標が表示され、原告の発行するカタログ或は各種の新聞広告、支店特約店等における看板には必ず右各文字を表示し、然も原告の商号よりも右各文字を目につきやすく表現していること、原告の発行する商報をヤマハ商報と題し、昭和十一年その創業五十周年を記念するために発行した書册を山葉の繁りと題したこと等の宣伝により、右各文字は、原告製造に係るオルガン、ピアノ等の楽器のマークとして長期に亘り広く一般世人に認識された結果、世人は山葉又はこれと同音の表示が楽器と結びつくことによつて、当該マークの楽器自体を観念するばかりでなく、ひいてはこれが製造者即ち原告企業体をも連想することとなり、原告会社を山葉さんと呼称する者も多数に上り、楽器に関する限り山葉なる表示は原告の製品を示すばかりでなく、原告の営業を示すものとなり、原告もその本来の商号と並行し、山葉又はこれと同音の片仮名、ローマ字を原告の営業であることを示す標章として使用し、このことは広く認識されていることが認められ、右認定を覆するに足る証拠はない。
従つて、山葉なる文字は、これが楽器と表示上或は観念上結びつく場合原告の営業であることを表示する標章として不正競争防止法施行地域内において広く認識されているものというべきである。
二、被告の商号が原告の標章と類似しその使用が、原告の営業上の活動と混同を生ぜしめるか否かについて。
被告の商号を見るに、その主要部分は、「山葉楽器」なる文字であることは明かであり、且つ取引上会社を呼称表示するには、略称として、通常その主要部分を以てすることは当裁判所に顕著であるから、被告を略称する場合「山葉楽器」と呼称されるものと認められ、かくして被告の商号は原告の前記「山葉」なる標章とその外観、呼称において類似しているばかりでなく、これを観念的に見ても、原告の商品である「山葉」なる楽器を製造する会社であると誤認されるおそれが多分にあるものと認められる。尤も証人加藤忠之、野村泰三の各証言によれば、楽器販売業者の間においては、被告の商品を使用しても前記のような誤認混同を生ずるおそれのないことが認められるが、楽器は一般世人が広く購買、使用する商品であつて不正競争防止法の法意にかんがみ、かような商品の製造販売に関しては、その購買者について生ずる混同誤認のおそれは、業者間における場合よりも更に重要視されなければならない。かような場合、被告の商号は、原告の「山葉」なる標章と類似し、これが使用はひいて原告の営業上の活動と混同を生ぜしめる行為であるといわなければならない。
三、右二の行為により原告は営業上の利益を害せられるおそれある者となるか否かについて。
証人加瀬秀造の証言によれば、被告が静岡県楽器製造組合に報告したその生産実績は、オルガンが昭和二十七年三月から同年十二月までの間五百二十四台、昭和二十八年一月から同年六月までの間五百五十一台であることが認められ、他に被告の生産販売高を認めうる証拠がないから、被告は右生産高のものを販売したものであり、又これに近い数量を現在も又将来においても生産し且つ販売し得るものと推定せざるを得ない。然して、前記認定に係る二の事実及び当事者間に争のない被告がその製造に係るオルガンにYAMAHAGAKKISEIZOKAISHAと表示して、本件訴提起の前提たる右の使用禁止の仮処分当時まで継続していたこと、愛知県三上保育園が、被告製造のオルガンを原告製造オルガンと誤認して購入した事実に、証人富岡竹之助、大崎勝雄、野村泰三の各証言によつて認められる、山形市鈴川小学校、山形県尾花沢町小学校、大阪府狭山小学校の職員において、右各校が購入した被告製造のオルガンを原告製造の山葉オルガンと誤認していた事実、証人須田隆之助、松山雅俊の各証言によつて認められる、長野市の有限会社須田楽器店は被告製造のオルガンの販売を広告するために、店舗の看板に山葉楽器オルガンと表示したが、昭和二十八年十月本件訴訟を知り、右表示は、原告製造の山葉オルガンと誤認混同されるおそれがあり、被告に迷惑をかけてはいけないと考え、右表示を抹消した事実及び、大阪市の大阪楽器株式会社において、被告製造のオルガン販売に関する広告にヤマハオルガンと表示した事実等を綜合すれば、被告製造に係るオルガンを原告製造の山葉オルガンと誤認混同して購入した者が過去において相当の数量に達したこと及び将来においても、右誤認混同の結果購買する者があるであろうことを認めることができ、右認定を覆すべき証拠はない。
而して右の事実と、当事者に争のない被告が現在のオルガン以外にピアノ製造販売の企劃を有していること、及び前段第二の二において認定した事実を合せ考えること、被告の右商号使用により原告はその営業上の利益を害せられるおそれのある者といえることは明かである。
以上認定した事実によれば、被告の商号使用は不正競争防止法第一条第二号に該当するものというべきである。
第三被告は、(一)昭和二十七年三月から昭和二十八年六月までに被告の製造したオルガンの全数量は千六十一台であるところ、その中原告の商品と誤認されたのは前記三上保育園の一例だけであり、かように千六十一分の一の割合の軽微な誤認を以て営業上の利益を害するものとは社会通念上考えられない、仮りに原告主張の如く九例であるとしても同様である。(二)たとえ営業上の利益を害するおそれがあるとしても、被告の商号に山葉なる文字を冠したのは、被告会社の代表者山葉良雄が、その先代である前記山葉寅楠の意思と名誉を受け継いだことに由来する氏名権の行使であり、他人の氏である「山葉」を商標に選定した原告が当然に甘受しなければならないところである旨抗争するからこの点につき判断する。
一、右(一)について、成程、購買者において原告の商品と誤認混同したことの直接且つ確定的な証拠は、被告主張のとおり、前記三上保育園の一例にすぎないことは、各証拠に徴し明かであるが、当裁判所は、前記第二の三のとおり過去において原告の商品と誤認混同して購買されたのは、右の一例に止まらず、その数量を確定し得ないけれども相当の数量に達したことを認定して居るのであるから、被告の右抗弁は既にその前提において失当である。のみならず、たとえ過去の実例が一件に過ぎないとしても、その事実自体と、被告の商号が原告の標章と類似し、原告の営業上の活動と誤認されるおそれある事実を綜合して、原告の営業上の利益が害せられるおそれがあるものと認定する妨となるものではなく、右の実例が九件の場合また同様である。よつて被告の右抗弁はこれを採用することができない。
二、右(二)について、世上一般に会社の創始者又は代表者の氏或は氏名を当該会社の商号中に使用する例があることは当裁判所に顕著な事実であり、成立に争のない甲第五号証と被告代表者山葉良雄の供述によれば、被告の商号に山葉なる文字を冠したのは、被告主張のような縁由によることも認められる。然しながら、自然人と法人である株式会社とは自ら別個のものであるから、山葉良雄が自己の氏を被告の商号中に使用することを許容するのは、同人の立場から見て氏名権の行使であるとしても、これを以て直ちに被告が同人の氏を商号中に使用することが氏名権の行使であるとはいえない。尤も会社が人の氏名を本人の承諾の下に商号中に使用すること及び商号の選定は一応自由であることは明かである。従つて被告が山葉なる被告会社代表者の氏をその商号に冠したことは、特段の事情がない限りにおいて自由であり許容さるべき筋合のものであることも明かである。けれどもひるがえつて考えるに、近代資本制経済の発展に伴い、企業間の競争が激烈となつて来た結果、それまで認められていた自由競争ひいては利潤追及のためには手段を選ばない傾向を規整して企業の健全な発展を図り、競業の適正化を目的として各種の不正競業に関する法が制定されるに至つた。不正競争防止法もこの中の一である。してみると、被告の商号が前段認定の如く、原告の営業上の標章と類似し、被告の営業を原告の営業と誤認混同させ、且つこれにより原告の営業上の利益を害するおそれがあれば、即ち右は不正競争防止法第一条第二号に該当する結果、被告の商号使用はその限りにおいて制限を受け、これが禁止を受けることは当然であり、被告としては、その営業を原告の営業と誤認混同させないよう合理的な手段を講じなければならないのである。
被告会社の代表者山葉良雄が、自己の主宰する被告会社の商号に自己の氏山葉の文字を冠したことにつき、今ここに本訴の提起を見たことは、同人の心情同情すべきものがあることは否定できない。しかし、株式会社が自然人から独立した企業体である以上、右山葉良雄の個人的事情を以て本件判定の根拠を左右し得るものではない。ことに、同人と山葉寅楠との右身分関係は、なおさら、被告と原告との営業を混同させやすい結果を生ずるおそれがあるものといわざるを得ない。もつとも、被告としては、原告の営業と混同を生じない方法をとる限り、山葉なる文字をその商号中に使用することを全面的に否定されるものではない。
第四以上の理由により、被告は原告に対しその余の点に関する判断をまつまでもなく被告商号中「山葉楽器」なる文字を使用することができず、従つてこれが抹消登記手続をなす義務があることは明かであるが、原告は被告商号全部の使用禁止を求めるのでこの点につき判断する。被告の商号「山葉楽器製造株式会社」の中、右「山葉楽器」なる文字を削除すれば残るところは「製造株式会社」の六文字だけとなるところ、商号の本質は、企業の個別化のための名称であると解されるから、右六文字を以てしては商号の体をなさないものと認められ、かような場合被告に対しその商号全部の使用禁止及びこれが抹消登記手続を求める原告の請求は許容されるものというべきである。
よつて、原告の本訴請求はこれを相当として認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。
静岡地方裁判所浜松支部
裁判官 播本格一